
チャイナタウンの西の端にあるブキパソ地区は、物静かなたたずまいを残す落ち着いたエリアです。中国系の人たちが出身地別に集まった「会館」の本拠として知られ、シンガポールの中でも古くから親しまれてきたこの地区は、今でも変わらぬ役割を果たしています。あまり観光客が足を向けない場所ですが、チャイナタウンではぜひ見ておきたい場所です。それでは、閑静なブキパソ地区へご案内しましょう。
ブキパソと「会館」
ブキパソ地区を特徴づけているのは、何といっても中国系の人々の出身地別などの社会組織である「会館」の存在です。ブキパソ地区は、アソシエーションと呼ばれるこの会館の多く集まったエリアであるわけですが、いったい何をするところだったのでしょうか。
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ブキパソは「会館」エリアです今でこそ薄らいではいますが、かつてのシンガポールの中国系の社会は地縁・血縁で結びついたいわばモザイク的な社会でした。当時、職を求めて、また新天地を求めて、この地にやってきた華人は、中国政府からも植民地政府からも十分な保護や援助がないままに、故郷とは異なった環境のもので生活することを余儀なくされていました。その中で、頼りにできるのは言葉の通じたり、お互いに近所であったり、あるいは姓がいっしょであるなどの「共通性」でした。こうした共通性のあるものは共同して「会館」をつくり、相互扶助、共済、集団自営をはかっていったのです。
会館は各華人の方言別に、あるいは方言圏内の県、州、府、省単位で結成されたほか、同姓ごとや同業ごとにつくられていきました。会館では、会員に職をあっせんしたり、廟や共同墓地、病院、養老員などを建設・管理し、会員間の紛争の仲介などにもあたっていました。さらに、学校を経営して、会員の子供の教育にあたったり、奨学金を給付するなどの教育上の役割や、貧しい人々や身よりのない老人には経済的援助も行っていました。まさしく、会館は会員である華人たちの「オアシス」であったのですね。
こうした会館はシンガポールの各地に点在しており、街を歩いてもあちこちで見つけることができるのですが、ブキパソの会館はこれらのうちでも本部としての機能を持っていました。会館の中をのぞくと、壁に古びた会員の写真がたくさん飾ってある様子を見ることが出来ますが、ここにシンガポール華人の歴史があるのです。
アウトラム・パーク駅から歩いてみましょう
ブキパソを歩くのに別に決まりはないのですが、今回はチャイナタウンのもう一つの入り口駅であるアウトラム・パーク駅からスタートしてみましょう。(地図・イエローの地区「MRT」表示)エレベーターを上がり、道路と反対側、つまり丘の方の出口から出ると、赤と緑の中国風にペイントされた屋根付きの歩道が現れます。最近、チャイナタウンは、再開発が進みつつあり、こうした歩道の屋根が整備されてきています。さすが、シンガポールの有力閣僚であり、重鎮であるリチャード・フー大蔵大臣のお膝元ですね。ちなみに、このリチャード・フー蔵相の名前(Hu Tsu Tau)は、シンガポールのお札に見ることが出来ます。お札にサインが乗るのは、大統領でも、首相でもなくて大蔵大臣なんですよね。
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MRTアウトラム・パーク駅さて、歩道を屋根づたいに歩いてくると、パールズ・センターというショッピングセンターが現れます。(地図・イエローの地区@)このショッピングセンターもなかなか味のあるショッピングセンターです。チャイナタウンの同種の建物の中では、比較的新しい部類に入ります。4階に映画館があることや、駅が近いこともあって、全体にあやしさが少ない感じがします。まず、上に上がってみましょう。
3階まで上がるとフードコートがあります。のんびりしたフードコートで、近所のじいさん、ばあさんがのんびりコーヒーを飲んでいたりするようなところなのですが、この向かいにベジタリアンレストランがあります。中国系のベジタリアンレストランというと、そう仏教徒の集まる場所ということなんですね。まさしくこの3階は仏教街のようになっています。このレストランも入り口のところに仏教活動のお知らせ板のようなものがあって、お経教室のご案内のようなものが出ていますし、何となくお香のにおいがするあたりが面白いですね。
ちょっと隣の仏具屋さんに入ってみましょう。ここがなかなか面白いんです。例によって、お経のCDやテープも売ってあるのですが、ここでは売っているのみならず、店内のBGMにお経をかけていることがあるんです。それだけじゃなくて、店のおやじがいっしょになってお経を唱えたりしていることがあるのがすごいところです。
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パールズセンターちなみに、ここで日本でも有名な「般若心経」のお経のCDを買ってきいてみたのですが、もちろんテキストは同じなんですが、唱え方が何だか音楽みたいなんです。お経だと思わずに聞くと、中国の民族音楽か何かを聞いているみたいで面白いですよ。これで御利益があれば、これほどいいことはありませんなあ。ほかには、坊さんのオレンジ色の袈裟まで売っています。不謹慎かもしれませんが、おみやげにいいかもしれませんよ。
2階に行くと、風水占いのお店もあります。表に料金表があるのですが、名前の占い(いわゆる姓名判断)は38ドルだそうです。日本人なら占ってくれるのかもしれませんね。他には旅行会社やバーガーキングが入っています。1階には、雑貨の小商店などがあります。建物の外には、食べ物屋さんが多くて、ちまきや点心、ゴ・ヒャンなどもあり、ちょっとつまんでみたいときにはいいでしょう。
ダクストン・プレインとヒンズー寺院
パールズセンターから信号を渡ると、すぐ右に公園のようなところが見えてきます。ここは、ダクストン・プレインといって、昔、鉄道が通っていた跡地が公園になっているところです。この鉄道、ブキ・ティマからオーチャード、そして、この付近を通って、西のパシル・パンジャンまで走っていた市内線だったわけですが、1930年代のはじめに撤去されたそうです。このような形で跡が残っているところは、少ないと思いますが、なかなかいい雰囲気の公園ですよ。
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地味なヒンズー寺院ですこの公園を右手に正面に上っていく坂道がクレタ・アヤロードで、まっすぐ丘を登っておりると、タンジョンパーガー地区へ下りていくのですが、その手前にヒンズー寺院があります。(地図・イエローの地区A)実にマイナーな寺院で、いろいろ見たのですが、由来などはわからずじまいで、それどころか地図などにも正式な名前がなく、「ヒンズー寺院」と書いてあるだけです。確かめたところ、スリ・ヴィナヤガー(Sri Vinayagar)寺院というそうで、主神はシバ神の息子で象の格好をしているガネーシャのようです。毎日定時に祭りはしているようですが、実に地味な寺院です。向かいにインド料理屋があるので、やはりインド系の人たちが集まってきてはいるのでしょうね。
ケオン・サイ・ロードのあたり
ヒンズー寺院から右手に折れて、丘を登って行く通りがケオン・サイ・ロード(Keong Saik Road)です。クレタ・アヤ編で少し書いたニューブリッジセンター横から伸びる通りです。この入り口付近は、再開発後、ホテル街になっているのですが、なかなかしゃれたホテルです。右手は、ケオン・サイ・ホテルとロイヤル・ピーコック・ホテル、三叉路から左手のテック・リム・ロードを上がって行く通り沿いにあるのが、トロピカルホテルとチャイナタウン・ホテルです。泊まったこともないし、泊まった人の話も聞いたことがないのですが、きっといいホテルではないかという感じです。
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緩やかな坂道のケオン・サイ・ロード![]()
この美しさ!トロピカルホテルここで見ておきたいのは、トロピカルホテルの建物の美しさです。(地図・イエローの地区B)1929年の建築と表示されているのですが、赤と青を基調とした色調と各部屋にバルコニーをつけた外観は坂道と狭い道の感じとマッチして、とてもいい感じです。この付近は、もちろん古いショップハウスがリノベーションされたものですが、一つの成功例といえると思います。
さて、ここでもう一つ目立つ建物が三叉路にある黄色の建物「東亜」です。これも、元々会館なのですが、1階のコーヒーショップがよく目立ちます。ここのコーヒーショップの風景は、シンガポールでも典型的な風景なのですが、ここは他の場所よりも「濃い」感じがするのは気のせいでしょうかねえ。いつもおじちゃんたちが、新聞読んでだべっています。2階以上は、オフィスがあったり、人も住んでいるようで、たまに洗濯物が干してあったりするのを見かけることがあります。
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よく目立つ「東亜」の建物さらに、ここからケオン・サイ・ロードを上がってみましょう。この付近は、ショップハウスが3階建てにきれいに統一されていて、しかも道路のカーブの具合がきれいで、本当に美しい街並みです。道の両側には同郷の会館だけではなく、コックやミュージシャンの会館まで、いろいろな会館が並んでいますが、その間にコーヒーショップやレストラン、アートギャラリーなどがあるのが、再開発後であることを感じさせるところです。
この通りで目に付くのが、坂に向かって右手にある「祥山六合體育會」です。スポーツサークルの拠点のようなものなのだと思うのですが、いつも大きな赤い旗を表に出していて特攻隊の拠点みたいです。中にいるおじちゃんたちは、さほど勇ましい感じではないのですが、この大旗はよく目に付きます。
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ショップハウスの中の中国寺院もう一つがジアク・チュアン・ロードとの角付近にある中国寺院です。こじんまりと建っているのですが、玄関横の壁や脇の壁にペラナカン風のタイル貼りがしてあって、いかにも街の中の寺院という感じがします。中は近代的なつくりで、ホールに大きな祭壇が3つ作られている構造になっています。庶民が気軽にお参りに来るという感じではなく、おそらくアソシエーションの人たち向けの寺院なのかもしれません。
ネイルロードを通る
ケオン・サイ・ロードを突き当たると、正面にフレンチ・ビジネス・センターなる緑と白を基調としたきれいな建物が見えてきます。この付近の目印になる建物なのですが、ここは昔タイガーバームの工場だったそうです。いまでは想像もつきませんが、こんなところでタイガーバームなんぞを作っていたのですねえ。
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ダクストンプレインでは太極拳もやっていますところで、ここの道を挟んでとなりにさびれた感じの建物が見えます。(地図・イエローの地区C)チャイナタウン・プラザというショッピングセンター兼オフィスビルみたいな建物なのですが、ここにタイすきの有名店「コカ・レストラン」のシンガポール本店があります。タイに本店を持ち、日本の渋谷や六本木にも支店があるこのお店、シンガポールでも人気のお店で、私たちも大好きでよく行くのですが、シンガポール国内でもお店によって微妙に味が違うようです。少なくとも、ここのチャイナタウン・プラザの味は明らかにオーチャードのものとは違います。はっきりいって、チャイナタウンの方が落ちますね。交通の便もよくないし、店の雰囲気も暗いし、同じコカならオーチャードに行きたいところです。
さて、この交差点を右に折れ、ネイルロードという通りを進んでみます。すぐに地下道の上を通りますが、ここが先ほど書いた昔の線路の跡であるダクストン・プレインです。ここに「精武體育會操場」という看板が見えますが、ここでは朝などに太極拳などをやっているところです。このネイルロードも「体育会」が多いところです。
ブキ・パソロードに入る
ネイルロードから右に折れ、坂を下っていく通りがブキ・パソロードです。巻き巻きのラーメン印が見える建物「NG TEOW YHEE & SONS」の角から入ります。ここの通りの建物もケオン・サイ・ロードと同様、特徴的なショップハウスです。ここの建物のデザインも凝っています。特に坂の上から見て左の通りの建物はテラス付きであるのが目立ちます。また、アーケードの柱の装飾にヨーロッパ風の一見、電気のように見える装飾が施してあるのも面白いですね。
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ブキパソロードを坂の上からのぞむ![]()
ショップハウス群
その向かいの並びはまた違った雰囲気です。この途中に「茶軒」というカラオケラウンジがあるのですが、ここにはシンガポーリアンの知り合いに連れてきてもらったことがあります。実にローカルな雰囲気なのですが、こういうところでシンガポーリアンというのは、アルコールを飲まずに、お茶を飲みながらカラオケを歌っているんです。酒を飲んだついでに行くという日本人とは少し違いますね。こんな場所なのですが、日本の歌もあるのがおどろきです。そういえば、日系企業の人もよく接待でお客さんを連れてきているようですね。
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建築文化遺産にもなっていますここからもう少し下りると、表に木が植えてある静かな雰囲気の建物があります。丸みを帯びた柱とベランダ、ショップハウス風の入り口を備えたこの建物は、建築文化遺産に指定されています。
この向かいにクリーム色の変わった建物があります。この「怡和軒」という1927年建築の建物、この通りでは有名な建物です。(地図・イエローの地区D)ここは「会館」なわけですが、ここはガン・エンセン、リー・チェンヤンという二人のお金持ちによって建てられました。 ガンの方は、当時タンジョンパーガー付近の大地主で、よく知られた慈善家でした。彼らによって建てられた「怡和軒」は、中国系の億万長者だけに限定したお金持ちクラブでした。当時のチャイニーズ・シンガポーリアンの夢のクラブだったんですね。今でもこのクラブの前には、いつもベンツがずらり並んでおり、相変わらずお金持ちの集まりのようです。
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億万長者クラブの「怡和軒」ここの三叉路にはぎょうざのお店「北京館」があります。
ここからニューブリッジロードまでは、事務所やアソシエーションが続いています。一番端には韓国料理屋があり、韓国からの観光客がツアーでやってくる様子をよく見かけます。
ニューブリッジロードを戻ります
ニューブリッジロードに戻るとすぐのお店がブランドもののお店「グランド・クラシック」です。ツアーの市内観光の最後に連れてこられることが多いところです。大きな字で「いらっしゃいませ」と書いてあるあたりが日本人向けのお店という感じですね。
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由緒ある岡州互助会ここのコーヒーショップをはさんで横に「岡州互助会」という会館があります。(地図・イエローの地区E)堂々とした建物ですが、ここは19世紀はじめのシンガポールのパイオニア的な中国人であったフー・アーカイの援助で建てられたという由緒ある建物です。ワンポアという名前で知られるフーは、1830年に中国から渡ってきて、ボート・キーで牛肉、パン、野菜を売る店を営む父親を手伝い、そして大きな事業を営む商人へと成長していきます。彼は英語を話すことができたことから、イギリス東インド会社に商品を卸す権利を手に入れ、大商人となっていったのです。その彼の力で建ったのがこの建物です。当時、賑わったニューブリッジロードの中でも、ひときわ目立つ建物だったことでしょうね。
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